PROFILESATO SHUHO

プロフィール

幼少期~高校生

ごく普通の公務員の家庭に育つ。家に漫画の本はほとんど無く、本屋で立ち読みをしたり、友人宅に通うなどして漫画を読む。小学校1年生の頃にはノートにコマを割り、漫画を描き始める。
テレビアニメで「ドラえもん」(藤子・F・不二雄)を鑑賞し、「僕の家にもドラえもんが来ないかなぁ」と夢想する。「キン肉マン」(ゆでたまご)を読み、体育館のステージから飛び降り、筋肉バスターを試みるが、尻を痛める。「北斗の拳」(原作 武論尊・作画 原哲夫)を読み、秘孔を試みるも失敗。楳図漫画を読み、夜中にトイレに行けなくなる。宮崎アニメを鑑賞し、描写の細かさに驚く。「F」(六田登)を読み、人間描写の深さに感動する。「BLUE」(山本直樹)を読み、エロさに驚愕する。「まんが道」(藤子 不二雄?)を読み、「自分の漫画体験の原点は藤子不二雄だ」と思う。しかしながら、基本は押さえておこうと思い手塚治虫全集を読む。サブカル系も押さえようと思い、つげ義春作品を読み漁る。

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上京~作画スタッフ時代

高校3年生、卒業後の進路を決める時期に「漫画家になろう」と決意する。両親に「人生をまじめに考えろ」と怒鳴られる。
ひとまず東京の美大に進学する。漫画や小説を読みまくる。
大学を休学し、漫画家の福本伸行氏の作画スタッフとなる。両親に「我が家の恥だ」と言われ、故郷を失う。徹夜や泊まり込みの多い業務が辛くなり、職場から逃亡する。
漫画家の高橋ツトム氏の作画スタッフになる。徹夜や泊まり込みのない職場に感動する。

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デビューまで

仕事の傍ら自分の作品を執筆し、商業誌に投稿、持ち込みを開始する。96年 アフタヌーン四季賞 準入選。以後、4回連続同賞を受賞する。編集部から読者ページの小さなカットや4コマ漫画の仕事を依頼されるようになる。編集者に「キミは4コマ作家になったほうがいい」と言われ、4コマ漫画を100本描くもボツ。
ボツになった4コマ漫画をヤングサンデー新人賞に応募。佳作を受賞。担当編集者と初めての面会で、それまで描き溜めたストーリー漫画を持参した所、「キミはストーリー漫画を描いたほうがいい」と言われる。雑誌にスポーツ漫画が少なく、「スポーツ漫画なら掲載されやすい」と言われたのでスポーツ漫画を描くことにする。大学のヨットサークルを取材した作品「おめでとォ!」がデビュー作となる。

「おめでとォ!」 表紙画像

初連載「海猿」

デビュー後、順調に2作目が掲載され、3作目にして連載の話が持ち上がる。連載用のネームを描き上げ、編集長のGOサインが出る。高橋ツトム氏の職場を退職し、原稿の執筆を始めた所で副編集長に呼び出され、連載取り消しとなる。
「海上保安庁モノの企画があるので、やっぱりそっちを執筆しないか」と提案される。元々描いていた作品は短期連載に格下げになる。
98年12月 ヤングサンデーにて「海猿」連載開始。連載中、編集長が交替。編集方針の変更により、作品に見合わない展開を要求されることが多くなり、連載を終了させる。

「海猿」 表紙画像

「ブラックジャックによろしく」

週刊モーニングから執筆の依頼がある。「海猿」が人命救助などを扱った作品だったため、「命の現場を描かないか」と提案される。
02年2月週刊モーニングにて医療漫画「ブラックジャックによろしく」連載開始。累計1400万部のヒット。編集者による度重なるセリフの改竄、取材や二次利用、原稿料をめぐるトラブルから編集部不審に陥る。06年3月から休載のまま連載終了。

「ブラックジャックによろしく」 表紙画像

「新ブラックジャックによろしく」

07年1月週刊ビッグコミックスピリッツにて「ブラックジャックによろしく」の続編となる「新ブラックジャックによろしく」連載開始。10年終了。

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「特攻の島」

「ブラックジャックによろしく」連載中、「命の現場ということなら、戦争物を描かないか?」という週刊漫画Times編集部の提案を受け、第二次世界大戦中に実在した特攻兵器「回天」をテーマとした作品「特攻の島」を、04年から連載開始。
14年現在まで不定期連載中。

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これから

僕の目標は「漫画を描き続けること」です。「漫画家になろう」と思い始めた十代の頃、「もしも漫画家になれなかったら、僕の目標は達成されないのだろうか?」「もしも漫画家になれたら、その後は何を目標にすれば良いのだろうか?」と考えました。ならば、必ず達成できて、ずっと続けられることを目標にしようと、「漫画を描き続けること」を目標にしました。そして、描き続けている間に漫画家にもなっていました。

僕はこれからも漫画を描き続けていきたいです。
描き続けるためには何をすれば良いでしょうか?今、漫画は紙から電子へ過渡期を迎えています。紙書籍市場は縮小し、電子書籍が今後の主流となっていくでしょう。
紙しかなかった時代は、大量生産、大量消費というシステムが、漫画産業を成り立たせるために必要でした。それゆえ、より多くの読者の趣向に合致した作品が求められましたが、ネットが存在する現在では、そのような最大公約数的な作品はむしろ敬遠されることさえあり、より個性的、より個人的な作品が増えてきています。
マスに向かって作品を投げなくても、趣向の似た作家と読者、個人同士が繋がれる便利な時代になったのかもしれません。
発表場所も雑誌に縛られる必要がなくなりました。 それらの意味では、漫画はより自由になりました。
だけど、自由は不自由です。失敗しても誰も責任を取ってくれません。成功しても、それに付随する面倒な出来事には自分で対処していかなくてはなりません。
特に著作権など、作品に関わる権利を作家がしっかりと管理していくことが、より重要となってきました。
出版と運命を共にすることが自分にとって良いことなのか、あるいは新たな表現方法、発表場所を見つけてるべきなのか、それぞれの作家は難しい局面に立たされています。
より自由になった漫画を使って、何を描いていくのか?
まだ眠っているはずの漫画の新たな可能性を探っていきたいです。

佐藤秀峰

大学在学中より漫画家を志し、福本伸行、高橋ツトムのアシスタントを経て1998年『週刊ヤングサンデー』(小学館)に掲載の『おめでとォ!』でデビュー。『海猿』や『ブラックジャックによろしく』など、綿密な取材に基づいた人間ドラマを描く。

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